父の話

[2018年06月12日]

今回は私の父の話をしたいと思います。
2月で一周忌を迎えました。78歳で永眠しました。
父の死亡診断書は溺死でした。
私の実家は東北の37千人の市で集落には1500人が住む高齢化率27.3%の街です。

母の話では、父は亡くなる1年位前から母が買ってあげたばかりの靴をクリニックに履いて行き間違えて帰ってきたり、買い物に行ってはお金を払うのを忘れてくるなどということがあったようです。そして田んぼに行っては脱水症状を起こし、救急車のお世話になる事も何度かありました。もちろん本人に自覚はないので母が一人でいつも怒っていると父はこぼしていました。

父の移動手段は昔から自転車でした。私が子供のころも10km位は平気で自転車で出かける人でした。が、その頃にはだいぶふらふらでしながら自転車をこいでいたようで、近所の方から危ないからやめさせてほしいと兄は言われていたそうです。しかし何度注意しても、もちろんやめるわけもなく、最後は自転車を隠してしまったようで亡くなった年のお正月に父が私に、交番に連れて行ってほしいと言いました。「どうして?」と聞くと交番に自分の自転車が置いてあるから取りに行きたいこのことでした。私は見に行き父の自転車とは色が違うみたいよと伝えるとがっかりしていました。

亡くなる4か月前に介護保険を申請しデイサービスに行くことにしました。始めはあんなところ年寄りが行くところだからと渋っていましたが行ってみるとかったようでいろいろ話をしてくれていました。認知症の薬も飲み始め多弁になっていました。

亡くなった日は8キロ離れたクリニックに行きましたがバスを待っていられず、自分で2時間かけ、帰ってきてすぐに入浴したことで心臓が止まり、救急車で30km離れた病院に搬送され死亡確認がされました。もしこれが都会だったら助かっていたのかもしれません。

でも私は父の安らかな顔を見てこれで良かったと思いました。私の子供たちもじいちゃん笑っているね。寝ているみたいだねと言いました。

色々な意見があると思います。それでいいのだと思います。人それぞれですから。

あとでケアマネジャーさんがこんな話をしてくれました。
街が渋滞している中の先頭に自転車に乗った父がいたこと、駐在さんが声をかけていてくれたこと、コンビニの店員さんがお金を払わず出で行った父を咎めず兄に請求してくれたこと。街全体で父を見守っていてくれていたのだとありがたく思いました。1年以上たっていますが思い出しながらこのコラムを泣きながら書いています。

最期どんな迎え方をしたいか考えておかなければならない、そして私はその大切さを訪問看護師として伝えていかなければならないと思っています。

エース訪問看護ステーション 新所沢 所長 小菅 美和